飼い犬が死んだ。
享年14歳。我が家の柴犬は15歳の誕生日を迎える手前で亡くなった。人間に換算すると80歳~90歳。天寿を全うした大往生だった。
彼が亡くなった時の気持ちを忘れないように、備忘録として綴っておきたい。
彼との出会いは、僕がイケてない中学生だった頃。先代の紀州犬が亡くなってから数年後の夏、彼は我が家に迎えられた。
おとなしかった先代と比べると、それはもう、やんちゃで自分勝手な奴だった。そこら中のモノというモノは口に入れないと気が済まない。機嫌が悪いときは家族であっても容赦無く噛む。知らない人が近づくとけたたましく吠える。
やんちゃを絵に描いたような血気盛んな男の子だった。
父は何度も噛まれて血だらけになっていたし、何度も脱走を試みてクルマに轢かれそうになったり、他の犬を噛みそうになったり、心配が絶えない息子のような存在だった。
ここで補足すると、我が家での飼い犬の扱いは代々「ペット」ではなく「番犬」である。数十年前は鶏や牛も沢山飼っていたらしいけれど、今は、犬だけが我が家で仕事をしている。
そんなやんちゃな彼だったから、番犬としての仕事は優秀だった。
14年もの長い間、彼が我が家を守ってくれたお陰で、我が家に泥棒が入ったことは1度もない。最後の方は耳も遠くなって、吠える力もなくなっていたけれど、彼が居たお陰で我が家の安全が保たれていたことは紛れもない事実である。
やんちゃでちょっと小心者の彼だったからこそ、やり遂げられた偉業かもしれない。
ーー
彼が僕のことをどう思っていたのかは分からない。やんちゃな彼のことだから、僕のことを遊び仲間とか格下の子分としか思っていなかったのかもしれないけれど、僕は彼のことを本当の家族だと思っていた。
もともと僕は人間とコミュニケーションを取るよりも動物とコミュニケーションを取る方が好きなタイプの少年だったので、彼ともすぐに仲良くなることができた。まだ子犬の時に、彼が毎日のようにボールを咥えては遊んでくれとすり寄って来たことがまるで昨日のことみたいに思い出される。言葉は通じないけれど、その分どこか気楽で自然体でいられる彼との関係性がすごく好きだった。
大学生になって上京してからは、年に数回しか会うことができなかったけれど、実家に帰るたびに毎日散歩に連れていき《彼は、自分が僕を連れて散歩してやっていると思っていたかもしれないけれど》、ボールを投げて遊んでやった。
そんな彼の「老い」を感じ始めたのは僕が社会人になったくらいの頃。
中学生の頃に出会った子犬の彼は、僕が社会人に成長するころには立派な老人になっていた。帰るたびに耳が遠くなっていたり、歩く速度が遅くなっていたり、彼が年老いていくのが感じられた。
ーー
「今年の冬は越せないかもしれない」
親から連絡が来たのは2月の頭だった。歳だから仕方ない、そう頭では理解しつつも、あのやんちゃだった彼が死んでしまうかもしれないという事実がいまいち信じられなかった。
正月に散歩に連れて行った時も、途中で歩けなくなって抱いて帰らないといけない状態だったから、ある程度覚悟はしていた。次に帰って来る時まで元気にしてろよ、っていつも通りにお腹を叩いて僕は東京に戻ってきていた。
「もう今週いっぱいが山場」
そんな連絡が水曜日に来た時には、すぐに週末の新幹線のチケットを購入していた。本当はすぐにでも帰って、彼を撫でてやりたかったけど、僕ももう立派な社会人だ。「犬が死にそうだから」そんな理由で休めるはずもない。
彼の最期には、なぜか立ち会ってやらないといけない気がしていた。
人生の半分以上の時間を一緒に過ごしてきた彼には、最後に一目会ってお礼が言いたかったし、単純に彼が居なくなる前にもう一度だけ会っておきたい、そう思った。
「俺が帰るまでは頑張れよ」そう思いながら金曜日の夕方には定時に仕事を終え、文字通りチャイムと同時にダッシュで会社を出た。間に合え、間に合え。そう思いながら予定した新幹線の時間を早める勢いで全速力で帰路についた。
早く帰ることに必死だったから、最初は携帯の着信に気付かなかった。
駅までの帰り道。嫌な予感はしたけれど、それは母からの彼の死を告げる電話だった。
間に合わなかった。
そんな気持ちと、最期まであいつらしく自分勝手なやつだなって笑いたくなるような気持ちがごちゃ混ぜになった複雑な感情だった。
電車ではなんとかこらえていたけれど、アパートのドアを開けた途端、涙が溢れてきた。1年分は泣いたと思う。彼とは特別どこかに遠出したこともないし、思い出といっても何気ない日常しか浮かばないんだけれど、もうこの世では彼と二度と会えないことを実感して悲しくなった。
もっと大好きなお菓子をたくさんあげてやればよかった
もっと色んなところに散歩に連れていってやればよかった
もっともっと大好きなボールを投げて遊んでやればよかった
最期まで一緒に居てやれなくてごめん
勝手に1人で逝くなよ馬鹿野郎
色んなことを考えながら、予定通りの新幹線で帰宅した。
眠るような安らかな表情をしていた彼はどこか幸せそうに見えた。
死ぬ直前は、大好きなばあちゃんの腕の中で、2度大きく吠えてから息を引き取ったらしい。彼の2度の咆哮は何を伝えたかったのかは分からないけれど、やんちゃな彼らしい最期だったと思う。
あの世でも彼は、自分らしく、やんちゃに、楽しくやっているんだと思う。
何年後になるか分からないけれど、あの世で彼に再会できるのを楽しみに、残りの人生を僕も自分らしく、楽しく歩いていこうと思う。
